top of page

野菜が原油になる日

ここ数年、農業というとTPPというキーワードがよく出てくる。TPPの枠組みの中で日本は勝てるのか?!という議論がいろいろなところでされている。JAのように端から枠組み参加を拒否するものもあれば、農業ビジネスにわく人は割と前向きに勝機はあると考えている人もいる。

私としては、この問題は何との戦いなのか、何が勝利(目的)なのかをはっきりさせるべきだと感じている。これが農業業界内のシェア争いであるとすれば、生産物の市場である程度のシェアを獲得することが目的になるが、法人であれ個人であれ日本で農業をしている限り農業大国に勝つことは地理的・政治的・経済的に無理だろう。また、日本食などの食材でニッチ的な分野で勝つことができたとしても、海外の産地でも生産できるものであれば遅かれ早かれ刃がたたなくなる。

残念ながらTPPで起こり得る戦いはシェアの争奪戦というレベルの話ではなさそうだ、、アメリカやヨーロッパ諸国など自由貿易先進国の状況をみると実は流通業、小売業など他の産業と農業との利益の争奪戦でもある。この戦いで農業が敗北すると生産活動を行う純粋な意味の農業が暮していくための生業として成立しなくなる。農業ビジネスの中で生産者の位置がほぼ奴隷化する可能性があるのだ。

これまでヨーロッパやアメリカではWTOの旗振りのもと自由貿易協定が締結され、比較的狭い範囲ではあるが、すでに農産物の関税が存在しない状態で野菜が流通するということが日常となっている。

これにより農業の大規模化が進み、農産物の輸出量や流通量が増えた側面は経済や流通の世界では歓迎されたかもしれない、ただ問題は企業の大小にかかわらず農業生産者の状況が極めて困窮してきているということだ。

特にシビアな状況はフランスの畜産業。牛乳や肉の価格が低下し続け、畜産業を営む農民の自殺者の数が問題になっている、インドでも農民の自殺が絶えないというがこれも農民の借金など経済的な状況の悪化が主な原因と言われている

農業大国のアメリカですら遺伝子組み換え種子や農薬などの技術の高度化に伴い生産コストが増加し、農・畜産物の価格の低迷がそれに拍車をかけ農園経営を圧迫している。

またフランスの農業の世界的な動向に関する調査機関の予測では今後貿易自由化や物流の発達により市場の不安定性が増加し、消費・生産活動に大きな影響を及ぼすことが示唆されている。

グローバル化というのが悪いものだけをもたらすとは思わない。しかし国際的な物事をみるときに善か悪かではなく、それが社会にもたらすものを客観的に考えること、その結果社会が幸せ(豊かで健全)になるかを考えることは、一国、一企業の損得より先に議論されるべきである。日本は自由貿易後進国であり、先の国の状況をみれば秩序の無い自由貿易が何をもたらすかは自明のことであるように思う。

とは言え自由化したらどうなる?と思う方もいるだろう。私は現在の状況では農業ビジネスとしても、農業業界としても敗北するとしか思えない、、

日本国内の生産力を海外と競合できるレベルにするには、技術だけでなく農地に係る既得権益の撤廃、労働力の安定的な確保など政治的な動きが伴わなければまず到底及ばない、それができたとしても為替や気候などの不確定な要因は排除できない。つまり政策転換や社会構造の改善、国や個人レベルの投資に農業が収益で応えることは不可能。日本でグローバルビジネスとしての農業が成立する可能性は地理的・文化的・経済的に極めて低く、日本食ブームに乗って一部の日本野菜が一時的に海外での売り上げを伸ばすことはあっても、中国、東南アジア諸国に日本野菜の生産拠点がうつってしまえばコスト面で圧倒的にフリとなる。

では日本がアメリカのような農業大国であったなら、グローバル時代を生き残り、農家が富を築けるのかと言うとそうでもない。前述のとおり、グローバル化の甘い蜜を吸うのは国際的な大企業(流通、薬品など)であり農家はその蜜をもたらす働き蜂、どうにか暮らしていける程度の収入があればある意味勝ち組になるレベル。他の産業から言えば圧倒的な負けになる。

無秩序グローバル化が進んだ先にある農業は、農業大国の圧勝。小、中規模の農家の淘汰である。農業ロボットや安い労働力を駆使して世界中で農産物を生産する農園のオーナー会社(現在のドールのような会社?)がほぼ市場を独占する、これ自体は良くも悪くもない流れであるとしても

地球上の人口を支える農産物の産地が農業強国であるブラジルやアメリカなどに集中したらどうなるだろうか。

農園というミクロ的な視点では栽培は効率的になるだろうし、運営する側も市場で独占ができれば安定的に生産できる。が、現在の地球上で自然災害や異常気候にみまわれる可能性のない地域は存在しない、一極集中したじゃがいも産地が崩れたら、翌日のスーパーからじゃがいもが消える、いもを主食とする国は政治的対応を余儀なくされる。。こんなフィクションのような話しが現実となるかもしれない。

業界は違うが、正にこの状況が日本で起こったことがある。1970年代のオイルショックだ。中東の産油国の原油産出量の削減宣言から原油高が上昇、生活物資の不足がうわさされトイレットペーパーが店頭で奪い合いになるという混乱まで生じた。これが世界レベルで起こり、政治対立などに発展したことから石油戦争とまで言われることとなった、、 エネルギー物質である原油に比べて、米、小麦などの穀物の不足が同程度社会的混乱を生じるかは不明だが、万が一大きな産地崩れが起こった場合農産物は生産に時間がかかるため再供給には一定の時間がかかり混乱を増大させる可能性がある。生活を支える農産物が一極化することはマクロ的な視点では政治的・社会に混乱を生ずるリスクが高い。

こういったことが現実になったとき、それを上回る幸せがグローバル化によりもたらされるだろうか?

気候や国際情勢の不安定さが当たり前になりつつある今、机上の経済論理だけで富や幸福をもたらすことはできない。野菜が原油に成り果てる前に自由主義の弊害から逃れるすべを模索すべきだと思う。

自由による混沌がもたらすリスクや実害を減らす手段は秩序しかない。先のフランスのレポートでは、農産物市場の価格変動をコントロールすることを対策として挙げている。買い取り価格や輸入品の流入量に基準を設けることも一つの手段になりえる。 

農業ビジネスの勝者となる夢ではなく、混沌の世界情勢のなかでいかに健全な生産活動を続けていけるかという現実と向き合っていけるかが後の日本の農業の姿を決定するだろう。


Recent Posts
Archive
Search By Tags
まだタグはありません。
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page